三島の名所からお名前拝借・・・・Vol.2 「源兵衛川」
三島の楽寿園から流れる「源兵衛川」よく使われれていて子供たちの遊び声が絶えないのは、本町広瀬橋付近
うちの焼き菓子「源兵衛川の小船あそび」の物語は、
広小路・三石神社よこの源兵衛川・・・・南側の、めがね橋周辺
作られた時期は、古老の話によると明治の中期か後期ごろ(19世紀末か20世紀初頭)とのことですが、年代や工事に携わった石工などの記録はありません。
石橋の研究家も見学に訪れ、このめがね橋が東海地方唯一の2連のアーチ型石橋ではないかと、その文化財としての価値を認めています。
昭和6年に広小路に引越し、開店準備を始めた、初代、儀雄・千代子夫妻、7年には長女・幸子、9年に長男・恒明(二代目)が誕生します。
開店間もない昭和9年当時、丹那トンネル開通、東海道線・三島駅の新設(中土狩から)などで都会から、伊豆から人が沼津・三島にあふれていた当時、・・・・・・・あの・・・・・・・・太宰治さんも友人との待ち合わせに、当店の2階喫茶室をお使いになられたようです。
当時の友人の方によると、みかん箱に寝かされた赤子や走り回る少女、洒落たお菓子と、気丈に働く「若女将のコーヒー」を、三島の思い出としてコラムに書くぐらい後年、懐かしんでいたようです。
当然、初代女将・千代子は東京から田舎に連れてこられて、忙しい毎日で「どの書生さんが偉くなりそうか?」「兵隊さん、女学生さん・・・・忙しくてそれどころではなかったらしい」:笑
さて、話は・・・・「ロシアケーキ」(現:みしまめぐり)
「源兵衛川の小船あそび」・・・富士山の湧水が市内いたる所で湧く冷たい川で、遊ぶ子供たち・・・・・軍部が戦争へ向かう昭和の初期
近くの西小学校へ通う、菊川四兄弟姉妹の遊び場、三石神社の横の源兵衛川に小船を浮かべたか?どうかは知りません(笑)
「源兵衛川の小船あそび」 10個入れ、2100円(贈答箱、店頭売り)
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