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ちびっ子たち、ちゃんとしつもん、できました。
毎年の事ですが、地元や近隣の小中高校の「社会見学」「課外授業」「体験学習」「社会実習」で、可愛い子達の質問に驚かされます。
今日は、
近所の三島市立北上小2年生が、社会科見学の授業でご来店。
ちゃんと、事前の準備もしてきて、しっかりした口調で、順番に質問をしてくれます。
「しつもんを、しま~す」
「1、ケーキは、なんしゅるいですか?」
いじわるだから、素直に答えず・・・・・「かぞえてみよっか!」「大きいの何種類」「小さいの何種類」「こっちの焼いたクッキーとかもケーキ屋さんの仕事だよ」・・・・・・
質問におまけも付けて、質問しなおし、戸惑わせてしまったか?
しばらく、メモを取ったり、友達同士見せ合ったり、
「2、おしごとは、なんじから、なんじまでですか?」
またも意地悪に「始まりから終わりまで、で、究極のフレックスタイム」って、呼ばれているんだよ・・・・・なんてこの前の高校生用の答えが喉まで出掛かって・・・・
「パンの人が5時で、ケーキの人は7時だよ」「終わるのは、だいたい7時ごろ」・・・・と、2年生用の答えを。
「3、いちばん売れるのは、どのケーキですか?」
「ケーキではショートケーキかモンブランかな?」・・・「でもね、ここで一番,売れているのはやっぱり,これ⇒」
・・・・と、ベビーシューを詰めている所を指差して,移動させて、しばしベビーシュークリームの作業工程の説明&宣伝(笑)
ここで、驚くのが・・・・・「わ~知ってる~」とか「食べた事ある~」と言うリアクションを期待しているにもかかわらず・・・・・
ほとんど、無表情(泣)
そんなに、売れてないか~?・・・・・知られてないか~?
これが、街中の広小路本店で、西小の子達なら「そんなの知ってる~」「パパが買ってくる~」と言う、うれしいリアクション!
まだまだだな。
まだまだ、質問は続き「バームクーヘンはどうやって作りますか?」
「おすすめのケーキはどれですか?」
「どうしてケーキ屋さんになったんですか?」
「ケーキを作る時は何を注意しますか?」(小学生でこれが聞けたら!レベル高ッ!)
「ケーキの仕事で難しいのは何ですか?」・・・・・答えはこちらもレベルによって、
小学生用、「美味しくな~れって、全部注意して丁寧に作るよ」(低学年)
中学生用、「毎日の同じ仕事が,許される範囲で同じに出来るようにする事」
高校生用、「学校の授業や趣味で作る時は,レシピを見ながら,出来て終わりでしょ」それが失敗か成功か?・・・は、別に関係なく?
「出来るまでやる!のが仕事!最低限、出来てからがスタート」・・・と、だんだん厳しくなり
高校生ぐらいになると部活に例えて
「監督やコーチが,練習終了!って,掛け声で終わらないでしょ?」「その後,自主練したり、帰ってからランニングしたり,朝錬も自主的に・・・・」
専門学校・短大用は、更に「毎日の中でコンスタントに同じものを出す中で,【普通レベル】を、上げて行く事」
「今日より明日,今年より来年,毎日の同じような仕事もしっかり違うんだよね」
さらにこの仕事に興味がありそうな子には・・・「 守 ・ 破 ・ 離 」に、例えて、
覚える段階の「 守 」が1~3年、だんだん判ってきて自分なりの方法論が出来て「 破 」が、早い子でも2~5年
自分のオリジナルを試行錯誤しながら、また元に戻って「 原 点 回 帰 」が判ってからの「 離 」・・・・・・永遠とエンドレス
この、小学2年生の質問を基準に一年間に来る中学生・高校生・専門学校の質問がこれまたビックリ!!
ほとんど、同じような質問。
華やかな仕事に見える「パティシエ・パティシエール」
白鳥の足は水の中で必死に、力強く!水をかいている話は、また機会があれば。
三島のシンボル・・・・・・Vol.5 三島大社
三島と言えば・・・・・三島大社
源頼朝公が、伊豆から全国へ声をかけ平家討伐の旗揚げをした場所。
東海道五十三次も「三島宿」は、大社の大鳥居
三島市民も、年間の大社の行事以外にも、出産・初宮参り・・・入学・学業成就・・・成人式・・・・結婚式等ライフイベントにも欠かせません。
広い敷地の南側、大鳥居をくぐりすぐに 「神池」 が、あります。
鯉に、えさをやる人々が多いですが・・・・そこに悠々自適に、のんびりと時間が止まったかのような、甲羅干しをする「神池の亀」が鎮座しています。
三島の祭りや、初詣などの喧騒のなかでも、およそ世間とは無関係なその姿からお名前を拝借した・・・・・「 神池の亀の甲羅 」
日本橋「トロイカ」で、修行をしていた二代目:恒明の「ロシアケーキ」のなかでも、クルミを一番使うクッキーで、一手間かけた逸品です。
「 神池の亀の甲羅 」・・・・10個入り、2100円(贈答用、店頭価格)
三島巡り・・・・・Vol.4 「楽寿園」
三島駅南口から、すぐ目の前の 「 楽 寿 園 」
三島市民の憩いの場,小さい時から 「お絵かき」「校外学習」・・・・「デート」などで使われている三島のシンボルパークです。
自然豊かな園内の中ほどの 「 小 浜 池 」
富士山の雪解け水の 「 湧 き 水 」によって季節ごとに水位が変わりその姿も色々
https://www.facebook.com/rakujyuen (楽寿園フェイスブックページ)
水位の変わり方で、子供たちの絵の描き方、遊び方も変わります。
その、小浜の池の底の溶岩石からヒントを得て銘銘した
「 小浜池の石ころ 」
旧:ロシアケーキ名、「 ロック 」
バタークッキー生地にレーズン、クルミ、ココナッツや、少しのチョコレートが入ってます。
「小浜池の石ころ 10個入り」・・・・・2100円(贈答箱、店頭価格)
三島の見所・・・・・Vol.3 湧き水
三島と言えば、その豊富な水の量から昔は、水辺の街として市内の所々から湧き水が湧いていました。
昭和36年、2代目・恒明は広小路店舗では手狭な作業場を「芝町」に移します。
地所は、近くの円明寺の所有。当時としてはモダンな3階建て1・2階作業所、3階自宅。
その芝町、パンケーキ工場にも井戸があり、一年中一定温度の冷たいお水が「飲み放題!」っだた幼少の頃を思い出します。
昭和38年、長女・ちひろ、S40年、長男・儀明が誕生。オリンピック、新幹線、高度成長・・・・「菊川製菓(有)」も少しづつ成長しながら、店舗も3店舗までに。
子供の頃は近くの「水泉園」「菰池」辺りは水が豊富で、「湧き水」の様子が不思議で「何処まで手が入るか?」「何処の湧き口が一番深いか?」などと遊べたものです。
市内の湧き水の量も、昭和も40年代ころからは、めっきり減ってきて、最近まで減り続けていた様です。
さて、お菓子の銘銘の話。
上の2枚の共通点「砂模様」から
「湧き水の砂模様」 (旧、ロシアケーキ・ウォールナッツ)
二代目・恒明は、東京日本橋「トロイカ」で修行。その頃メインに作られていた「ロシアケーキ」・・・(本当にロシアにあるかは未確認:笑)
その中の一つで、クッキー生地に熱々の煮込んだナッツ類をのせて焼いたものです。
「ウォールナッツ」と言うだけあってクルミがたっぷり入った焼き菓子です。
そのクッキーを「三島の見所」からお名前を拝借して
「湧き水の砂模様」 と、名づけました。
「湧き水の砂模様」・・・10個入り2100円(贈答箱込み、店頭価格)
三島の名所からお名前拝借・・・・Vol.2 「源兵衛川」
三島の楽寿園から流れる「源兵衛川」よく使われれていて子供たちの遊び声が絶えないのは、本町広瀬橋付近
うちの焼き菓子「源兵衛川の小船あそび」の物語は、
広小路・三石神社よこの源兵衛川・・・・南側の、めがね橋周辺
作られた時期は、古老の話によると明治の中期か後期ごろ(19世紀末か20世紀初頭)とのことですが、年代や工事に携わった石工などの記録はありません。
石橋の研究家も見学に訪れ、このめがね橋が東海地方唯一の2連のアーチ型石橋ではないかと、その文化財としての価値を認めています。
昭和6年に広小路に引越し、開店準備を始めた、初代、儀雄・千代子夫妻、7年には長女・幸子、9年に長男・恒明(二代目)が誕生します。
開店間もない昭和9年当時、丹那トンネル開通、東海道線・三島駅の新設(中土狩から)などで都会から、伊豆から人が沼津・三島にあふれていた当時、・・・・・・・あの・・・・・・・・太宰治さんも友人との待ち合わせに、当店の2階喫茶室をお使いになられたようです。
当時の友人の方によると、みかん箱に寝かされた赤子や走り回る少女、洒落たお菓子と、気丈に働く「若女将のコーヒー」を、三島の思い出としてコラムに書くぐらい後年、懐かしんでいたようです。
当然、初代女将・千代子は東京から田舎に連れてこられて、忙しい毎日で「どの書生さんが偉くなりそうか?」「兵隊さん、女学生さん・・・・忙しくてそれどころではなかったらしい」:笑
さて、話は・・・・「ロシアケーキ」(現:みしまめぐり)
「源兵衛川の小船あそび」・・・富士山の湧水が市内いたる所で湧く冷たい川で、遊ぶ子供たち・・・・・軍部が戦争へ向かう昭和の初期
近くの西小学校へ通う、菊川四兄弟姉妹の遊び場、三石神社の横の源兵衛川に小船を浮かべたか?どうかは知りません(笑)
「源兵衛川の小船あそび」 10個入れ、2100円(贈答箱、店頭売り)
三島のみどころからお名前拝借・・・・vol.1
三島・広小路本店の隣、うなぎ「桜家」のさらに隣に「三石神社」があります。
この神社には三島本町の氏神さまが祭られていて、その昔横を流れる「源兵衛川」に三石という巨石があり、そこに社殿を建て稲荷さまを祀った事から三石神社と名づけられたらしいです。
専属の神官は居ないため、神事は三島大社の神官が来て執り行います。
三石神社の境内にある「時の鐘」は、江戸時代以前から旅人や三島の人々に時を知らせる鐘として親しまれてきました。
たびたびの三島宿の火事や,昭和の大戦での軍需供給を経て、
現在の鐘は、昭和25年に市民有志により再建された鐘です。
昭和6年に、芝町「菊や」の次男・菊川 儀雄が、今の広小路店の場所を借り一家を引越しました。当時は木造平屋でしたが、お菓子とは関係ない親戚の機械屋さんに手伝いに行きながら,子供たちを育てます。
戦前・戦中は、当時まだ静岡県内でも数件の「洋菓子と喫茶」というスタイルで営業をはじめます。(戦時中の「ララ」を使えない話はまた後日)
戦後、配給の砂糖をお客様から頂きながら、それを飴に変え,お菓子を作り,幾ばくかの手数料(原料)頂きながら・・・生計をたてます。
次回は、ロシアケーキ秘話?
三石神社の時の鐘・・・8個入り、1800円(贈答箱、店売り)
シュークリームが「キャベツ」なら、ころころ「ミニキャベツ」
普通のシュークリームが、フランス語の「キャベツ」というのはご存知ですよね。
うちの看板商品「ベビーシュークリーム」も英語フランス語ごちゃ混ぜではありますが
「ミニシュー」・・・「プティシュー」・・・「ベビークリーム」・・・お客様はそれぞれお呼びになりますが・・・・
「ララのあれ!」である事は,間違いありません。
昭和から平成になるころまでは・・・・・お婆さまが、お孫さんの手を引きながら
「おばあちゃんが三島の女学校に通ってた頃は、2円(5円)だったのよ~」
なんてお声も聞こえてましたが・・・今ではそのお孫さんたちが、立派なパパ・ママに成られて
「パパが小さい頃は20円だったんだ~ぁ」
その時のお子様も、今では大学生・社会人
「一個45円で20個入りを2箱買って,家族に1箱もう1箱独り占め:笑」
・・・で、ベビーシューが「ララのあれ!」~から、「三島のあれ!」と言われるように
三島に帰ったら、ベビシュー食べなきゃ!・・・って、思われるように!
フェイスブックページ「三島のソウルフード!ベビーシュークリーム!」を作ってみました。
よろしかったら「いいね!」お願いします。
天然甘塩を入れて・・・・・ガレット・ブルトン
SNSや、ブログのプロフィール用に使っている、顔写真を誤魔化す・・言ってみれば「被り物」ぐらいインパクトのある「ガレット・ブルトン」
ご存知の方も居るかも知れませんが、バターの美味しい!ブルターニュ地方で多く作られるクッキーの総称です。
店によって、シェフによって様々に変化・応用できる「焼き菓子」のなかでも王道の厚焼きクッキーです。
コロンブスの卵で、プロが知ってしまえば、普通に作れてしまう「厚焼きクッキー」ですが・・・
ご自宅で、簡単にとは中々出来ないちょっとだけ上級者向けの作品です。
レシピだけではサクサク!ほろほろ感!が、中々出にくく
大人が上手に食べても、口の周りや、テーブルの上を汚してしまうほどのサクサクで崩れやすい食感が理想です!
それには、いつも言っている「同じ分量、同じ仕込み方でも違うものが出来てしまう」ほど仕込にも、焼き方にも細心の注意が必要とされます。
うちの店の場合ですと、3年目以上でないと中々触らせません(手伝いだけならすぐ出来ますが任せて貰えない)
日本のバターでは中々、理想の味に近づけなかったんですが・・・・天日干しされた「天然の甘塩」を使ってみたら、少しだけ仏・ブルターニュの味に近づけた気がします。
↑ 上 ↑ これが、奇跡の一枚!名刺や、プロフィール写真に使っている写真で、
撮影者は8歳の時の長女:みゅう。
初めてコンパクトなデジカメを持たせて、無理やり撮ってもらった一枚です。
後ろは、フランス・パヴァイエ社のトパーズ!(熱風で焼くコンベクション・オーブン)